ライヴ・イン・東京1970

ライヴ・イン・東京 1970

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

SONY SRGR747(SACD),  SICC-40041(CD)

 

2025年の万博は開催に暗雲が立ち込めているようですが、そもそもインターネットで世界中が結ばれているこの現代において、万国博覧会がどれほどの意味を持っているのかと考えてみると、もうひとつ盛り上がりに欠けるのも仕方のないことかなという気がします。

 

ところが同じ大阪で1970年に開かれた万博には日本中が夢中になり、ジェットコースター《ダイダラザウルス》に乗り、アメリカ館に展示された《月の石》を一目見ようという人々が長蛇の列を作りました。当時中学生だった私もさんざん親にねだって連れて行ってもらったものです。とはいえ、大阪の8月は北海道生まれの私には耐え難く、ただただ暑かったという記憶が残っています。そんな酷暑と人混みの中で、すぐに入れる涼しい場所が一つだけありました。それがドイツ館です。なぜドイツ館か?1970年はベートーヴェンの生誕200年の記念の年でした。ドイツは、ベートーヴェンを生んだ音楽の国として、ドイツ館を音楽で満たしました。ところが音楽の国ドイツを代表する作曲家として万博で紹介されたのは、なんと、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったカールハインツ・シュトックハウゼンだったのです。ドーム型のドイツ館のなかには展示らしい展示もなく、シュトックハウゼンの音楽が響いているという何ともシュールな世界。ドイツ館が万博会場の真空地帯になったのは無理もないことでした。

 

余談が長くなりましたが、日本の高度成長期を象徴する1970年の大阪万博には、世界から一流音楽家たちが訪れました。カラヤン&ベルリンフィル、ヤンソンス(父)&レニングラードフィル、プレートル&パリ管弦楽団 etc.・・・。なかでも大きな話題となったのがジョージ・セルの率いるクリーヴランド管弦楽団でした。演奏会はNHKテレビで2回に分けて放送され、スタジオにゲストとして招かれたセルに音楽評論家の大木正興さんがインタビューした様子はいまも思い出すことができます。それほど強烈な印象を中学生だった私に与えたのが、セルの指揮するモーツァルトのト短調交響曲でした。それまで何となく優美で上品な音楽という印象を持っていたモーツァルトに対する私の見方は根底から覆されました。そこにあったのは、厳しく、孤独で、それでいてしなやかで繊細な音楽でした。この素晴らしい指揮者の演奏でこれからもいろいろな曲を聴きたい、そうしたわくわくする期待のさなか、ある日の新聞紙上で目にしたのがセルの訃報だったのです。あのTV放送から3か月も経たないある夏の朝のことでした。

 

当時私は中学生でしたが、これ以前にもカラヤンやワルター、トスカニーニなどを聴いて、それなりの音楽体験はありました。だからこのTVを通じてのセルとの出会いは本物だったと思っています。そんなわけで、セルは私のアイドル、基準、水先案内人になりました。セルの死後間もなく、モーツァルトのト短調がセルの追悼盤(当時はLPレコードです)として発売されましたが、これは来日の3年前の録音で、当然あのときの演奏ではないわけです。私にあの強烈な感銘を与えた演奏はどんなだったのだろう、ということが常に心に引っかかっていました。それがセルの死後30年も経過した2000年にソニーから「ライヴ・イン・東京1970」として発売されたのです。NHKの倉庫から録音テープが発見されたとのことでしたが、これは私にとって奇跡のような出来事でした。東京文化会館で収録されたその演奏は、基本は1967年のスタジオ録音と変わりませんが、細部はずいぶん異なっています。その細部が大きく心を揺さぶるのです。とくに顕著なのが絶妙なテンポのコントロールです。それは単なるアゴーギクとは異なる、音楽に生命と意味を与えるテンポの変化です。セルを他の指揮者たちと隔てているのがまさにこの部分です。セルがオーケストラに課したという、伝説になるほどに厳しい訓練は、単なる一糸乱れぬ合奏力などよりも、こうした指揮者が求める微妙な要求に鋭敏に反応できるオーケストラを作り上げるためだったのではないでしょうか。ともあれ、1970年の東京文化会館に鳴り響いたモーツァルトは、いまもやはり深く私の心を動かします。そしてシベリウス!「交響曲第2番」終楽章のコーダからは、眩しいほどの光が射してくるかのようです。この白熱的で圧倒的なエネルギー感は、クリーヴランド管弦楽団がただ端正なだけのオーケストラではないことを如実に物語っており、聴衆の熱狂的な拍手と歓声がそれを裏付けています。また興味深いのは第2楽章の演奏で、結尾を弦楽器群の苛烈なピツィカートでスパッと断ち切る解釈は、コンセルトヘボウ管弦楽団との録音には聴かれなかったもので、ここまで思い切りのいい断ち切り方が聴かれるのは私の知る限りバーンスタインの旧録音のみです。そういえば、1970年の夏、日本から帰ったセルがクリーヴランドの病院で死の床についていたときに、セルの夢を実現させた野外音楽堂ブロッサム・ミュージック・センターで、バーンスタインはクリーヴランド管弦楽団を指揮してマーラーの「交響曲第2番《復活》」を演奏したのでした。対照的な二人の芸術家の交流が偲ばれます。

 

ジョージ・セルという偉大な芸術家の人生最後の境地は、まさに巨匠的な堂々たる風格を備えながらも、老いの影など微塵も感じさせない瑞々しさに溢れたものでした。日本公演当時、セルは自分が不治の病に冒されていることを知っていたといいますが、ここには肉体の脆さを克服した精神の高らかな凱歌が聴かれるように思います。記憶の中にしかなかった伝説の日本公演が、こうして30年の時を経てCDという形で蘇り、伝説が現実のものであったことを雄弁に伝えています。音質は、2000年発売のCDではかなり硬質で、ときに耳にきつく刺さる響きが1970年当時の放送録音の限界を感じさせたのですが、2001年にDSDリマスタリングが施されたSACDではそこのところが大きく改善されて、デッドな響きながらもずいぶん聴きやすい音になりました。現在発売されているCDも、このSACDと同じマスターが使われているようで、安心して聴くことができます。ジョージ・セルの演奏については、これからも折を見てご紹介していきたいと思います。